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To:キングコングの西野氏

キンコン西野さんのブログを私のこの一読も彼の収入になるのかと悔しくて、悔しいながら読んで、この悔しさはなんでなのかよくまとめられないまま書いてるんだけど、私なりに頑張ってまとめてみようかと、久しぶりに文学少女として、帰ってきました。
タイトルはTo:Mr.西野とでもすべきでしょうか。
まずは、一番心に刺さったところからでしょうかね。

「「お金が無い人には見せませーん」ってナンダ?糞ダセー。」

という一文ですが、どういうことなんでしょうか。その後すぐの文で、

「……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)。」

ととりなしていますが、じゃあ彼の中でその基準ってなんなんでしょうかね。物によってはって、じゃあお金を求めることがダサい仕事ってなんなんでしょうかね。

私は本が好きです。絵本も好きです。書籍がそんなに好きじゃない方には「絵本なんて子供らしい」とよく言われますが、ずっと少しずつ本と同じように絵本もまた、集めています。確かに私は思うのです、少女だった私が読んでみたいなんて理由で買うには、本も絵本も確かに高かったのです。
でも私には、図書館がありました。図書館で気になる背表紙を見つけた時の、高揚感。読んでみたい本を予約して取り寄せ待ちする時のあの待ち遠しさ。お金が無い人間にも本を手に出来る環境は、楽しめる環境は、ちゃんとあるんですよね。誰もお金が無い人には見せないなんて言っていないじゃないですか。

また、

「お金の奴隷解放宣言です。」

という言葉ですが。
私は本屋さんで出会った初見の本や、図書館で出会ったどうしても手元に置きたい本を選び、多くないお小遣いから買っていました。
大きくなってからは作品にお金を払う意味をこう考えていたのです。きっと作家さんは、出版社さんは、この本に関わる人達は、このお金達で生活をしてまた、新たな作品を作ってくれるのだと。そこにお金を払うことは果たしてお金に支配された行動なのでしょうか。

私の好きな作家さんが、私に本や絵本を買ってくれていた祖母が、作家さんへの憧れや本の中身にドキドキしながらレジに並んでいた、少ない小遣いからお金を払った自分が、くそダセーと、お金の奴隷だと、馬鹿にされた気がして、この人が人に伝える絵を描き言葉を紡ぐ職の片隅にでも就いている事が悔しくてたまらなかった。
彼は

「お金を稼ぐことが悪い事だとは思わない」

と言うけれど、その代わりにくそダセーと、お金の奴隷と、こき下ろしている。それを生活の糧としている人を、誰かの尊敬する人を。

彼が嫌われ芸人でも、炎上芸人でも、それが彼の商売のやり方だとしても、また実は本当に彼に望む未来のあり方があったとしても。

あんなに一方的に、人の働き方を「芸能人」として媒体を使って、自分の知名度を武器にして言葉で殴るなんて。私は悔しい。

そんな人に言葉でお仕事をして欲しくない。

最近は言葉で人を腹立たせたり傷付けたりした者勝ちな世の中になっている気がします。週刊誌やコメンテーター等はもちろん、私たちだって今やSNS等で気軽に発信者になって、世界に言葉を届けることが出来るからこそ、ちょっと言葉を選ぶ、言葉を紡ぐ、国語と道徳のお勉強が、重要になるのではないですかね。

こんなにも彼のブログが悪意的なものに見えるのは、私の最初から批判的な思考が読み方に影響しているかもしれません。切り取り方が悪いのかも知れません。確かめたいのであれば、彼のブログはこちらです。
http://lineblog.me/nishino/archives/9256089.html
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真を写す集団の、その行く末

お久しぶりに、灰降る街より。
文学少女は大学に入って二年目を迎えました。
いつまで少女でいていいのか悩むところですが…(笑)
まだまだ未成熟な私ですから、もう少し、文学少女の名前に甘えようと思います。
さて、今日はカメラと、所属する場所の話を徒然なるままに。

このごろの私は、さながらいつぞやかのリフレイン、またも葛藤の中にいます。
好きなものだからこそ、好きなところだからこそ、激突した壁の大きさに
戸惑いを隠せずにいます。
ずさんな何かに目をつぶって、見えてる絶望的将来から目を背けて
そんなの絶対行きつく先は決まっていて、後悔するに決まっているのに
ぬるま湯に浸っている、誰かがやってくれる気になっている。
横で泣いている人がいるのに、前に憤っている人がいるのに、
なんで見ないの、見えないの、見ないフリするの。
声をあげても届かない、打たれるから出るわけにはいかない。
一歩を踏み出し過ぎた私は静かなる警告を受けました。
じゃあ、どうしろと言うの。見るなと言うの。
楽しくやるなと、真面目にやるなと、集約すればすべてそこに行きつく。
自分が言っていることの意味を本当に分かっているのでしょうか。
感受性が強すぎると、考えすぎると、あなた方は責めるけど
安心できるビジョンをくれないのはなぜですか。
ビジョンがないのに安心しきっているのはなぜですか。
私にはわからない。
でも私はもう動けない。退部勧告ともとれる警告を受けました。
私は助けなければならない人のために今あそこからいなくなることはできない。
誰かに伝わってと、治そうよ、間に合うよ、と思う反面、
行きつくとこまで行っちゃえよ、どうにもならなくなってから後悔しなよ、と私の中の残虐性が叫ぶ。
どうしたものやら、きっとなにも変わらないけど。
私はみんなからちょっと隔絶された場所から、
支えるべき人を支えるので精一杯です。
もう、疲れたの。

もうひとつもやはり同じ場所から。
たのしさと、本気さって、共存しえないのでしょうか。
皆と仲良くするために、みんなと楽しむために、へらへらと笑っている自分と
本気で思って、真面目に考えている、真剣な声色の自分が
どうしたって重ならなくて、自分が真ん中から裂けていく。
いわゆる「ガチ」な人ほど、ここを離れてのびのびと力を伸ばして
でも私はみんなと一緒にいたくて、そしたら結局本気になんかなれない。
「そんなのお前次第だよ」とみんな笑うけど、
私はそんなに器用になれない、裂けていく自分にも耐えられない。

そうして悩んで悩んで悩んで悩んで私は昨日
とうとう逃げ出しました。
バカみたい。そんなの分かっている。
でも、私は追い詰められたらなにするかわからないから(笑)
落ち着けますように。前に進めますように。
あの人をちゃんと、支えていけますように。

お人形さん

とてもとてもお久しぶりにりーちゃんです、
覚えていていただけましたでしょうか。
どれほどのあいだ凍らせてしまったやら…

久しぶりに、書きたいことが出来たので
また、ここに戻ってまいりました

今、困っていることがあるのです
誰かに助けて欲しくて、でも
誰かに助けてもらうわけにはいかないこと。

私は、ある方の
お人形さんになってしまっているのです。
私が好いた人ではなく、
私を好いた人でもなく。
その方の鬱憤晴らしのために、
私は存在するわけではないのに
それを言えるはずもなく

尊敬していたい、信じていたい
目標になっていてほしかった。
まだ最後の一線を超えていないことだけが
せめてもの救いでしょうか。
冷たく拒めなかった私が悪いのでしょうか。
簡単に懐いてしまった私が悪いのでしょうか。
尊敬する人だから、信じて懐いた人だから
嫌われたくない、遠ざかって欲しくない
何も言えず、伝えられず
私は、四方八方を塞がれてしまいました
最初にはっきり拒まなかった私は
言いようのない馬鹿だったのです
少しずつ私の歯車が狂っていく

外に出たくありません
顔を隠すためのマスクも手放せません
夜も寝られず、昼は悪夢にうなされ
そのデリケートな立ち位置と
重たい現状故に、誰にも相談できず
後ろに急に殿方が立つだけで
冷や汗が止まらなくなるのです

尊敬しています
追いつきたいと思っています
最初曖昧にした自分が悪いと知っています
だからこそ
どうしていいやらわからないのです
汚して欲しくないのです
壊されたくないのです
でも全て私のせい
どうしたらいいのでしょう。
わからないのです。

雨の動物園!!

お久しぶりに、薩摩の地より。
ご無沙汰してます、りーちゃんです(^^)/
ネット環境のない場所での新生活が始まり、テザリングするのが億劫で更新が滞っていました(;・∀・)
iPhoneで更新できるようになったので
これからはちょくちょく更新していきたいと思います(*´ω`)

今日は写真部でおでかけしたときの写真をば!
新しく入った写真部で動物園に行きました(`・ω・´)
雨でしたけど…デジャヴ。笑
先輩達は優しいしサークル仲間は面白いし、入ってよかった( *´艸`)♡
new_SSC_1028.jpg
入園してすぐのホワイトタイガー、
「なんできたん?今日閉園日やろ?」みたいな目で見てきます。

new_SSC_1029.jpg
そして私達の来訪で次の客待ちをする気になったホワイトタイガー
オリの前でスタンバイ。でも悲しきかな、雨の動物園に来る物好きはなかなかいない。

new_SSC_1027.jpg
この子もやる気ゼロ。笑

new_SSC_1031.jpg
この子達も雨宿り。

new_SSC_1032.jpg
なぜか元気なかもくん。エサを求めて歩き回ります。

new_SSC_1033.jpg
草むらからこんにちは!


雨に降られはしましたがとっても楽しかったです!
次は六月灯かな(*´ω`)楽しみ

小さな平和、大きな平和

久しぶりに乗ったバスの中は、小学生でいっぱいでした。
平日の昼下がり、たまにちょっとマセた女の子が「バスの中だから、しーっ!」などと言うものの、
小学校も低学年くらいの元気盛りを十数人集めた車内で、無邪気な喧騒が収まるわけもなく。
陽光に誘われる眠気もどこかに飛んで、私は彼らに夢中になっていました。
とりわけ気になったのが、斜め前と、通路を挟んで隣の二人組。
斜め前の男女ペアはなぜか、帰り道の危険性について語っていました。
どちらもまだまだお子さまランチを食べてそうな年頃なのに、
男の子はしきりにお兄さん顔して防犯レクチャーを繰り広げ、
女の子は真剣にうなずきながらそれを聞いていて、微笑ましいことこの上なく。
男の子の
「いいか、世の中のオジサンには、お前みたいなちっちゃいのにしか恋できない人もいるんだぞ、捕まったらカノジョにされるんだぞ」
には笑いました(笑)
確かに女性、それもまだまだ抵抗する力も心も持ち合わせてない女の子からすると、とっても危険な今日この頃。
白昼堂々子供がさらわれるという事件も時たまニュースにあがります。
男の子がレクチャーしていた防犯方法は、ゴム鉄砲発射とかランドセルで急所を殴るとか、
なんとも頼りないものだったけど、そういう危険があるのだと知っているということがまず大切なのでしょう。
日常に潜む危険は、非現実すぎて実感がわかないかもしれないけれど、
案外近くにいるものなのかもしれません。

熱心な防犯教室の後ろでは、女の子2人が「戦争」なる遊びをしていました。
早い話がジャンケンです。グーが「軍艦」、パーは「ハワイ」、チョキは「朝鮮」だそうな。
この幼い女の子達は、その意味を知っているのだろうか。
軍艦はハワイに負け、ハワイは朝鮮に負け、朝鮮はハワイに負けるなんて、
史実と違いすぎて拍子抜けするけれど、幼子が意味もわからずやる遊びに、戦争が染み入っている。
平和主義者ってわけじゃないけれど、なんだかぞっとしました。
今、少しずつ内閣も憲法も世論も動き始めている。
そりゃあ邦人の危機に直接手を出せないのは歯痒いことかもしれません。
他国に戦闘支援で恩を売れないことも、味方が被害にあっても仇討ちできないのも、全てただの束縛かもしれません。
けれど、今の平和はその束縛と引き替えだということを忘れてはいけないと思います。
今の政権が安全を語って枷を外したとして、
数十年たったのちも枷が外れたまま大人しくじっとしていられると、断言できるでしょうか。
戦地から遠く離れたエゴでもいい、旧友や、おじさんの怖さを語るあの少年が、戦地に赴かずに済む世であってほしい。

平和ってなんなのでしょうね
物差しがないから分からない平和の度合い、けれど小さな危機も大きな不安も、確かに常に身近にある。
どんな日常の中でも、それを遠ざけるために日々、努力していかなければならないように思います。
プロフィール

りーちゃん

Author:りーちゃん
読書好きな、どこにでもいる普通の女子高生です(*´ω`)
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